初めてのコンサート、そして“推し”ができた4月26日。私の青春のひとこま

忘れられない春の日があります。

数十年前の4月26日、心を強く揺さぶられた、私の“推し活”のはじまり。

たった一夜の出来事が、今も静かに私の中で生き続けています。

高校2年生のあの春の日

数十年前の4月26日、私は高校2年生でした。

桜は散り、新しいクラスにも少し慣れてきたころ。

放課後の教室には、少しだけ汗ばんだ制服のにおいと、 窓の外から吹き込む、初夏を思わせる風が入りこんでいたのを、今でもはっきり覚えています。

当時の私は、ごく普通の女子高生でした。

特別明るくもなく、目立つタイプでもなく、でも毎日をなんとなく楽しんでいた。

部活帰りに寄った本屋で、その人に出会ったんです。

一枚のポスターでした。

少しうつむき加減で、ギターを抱えた横顔。

一目で、心をつかまれました。

今でいう“推し活”なんて言葉もない時代。

でもあの瞬間から、私は間違いなく「推し」を見つけていたのです。

初めてのコンサート

それからしばらくして、そのアーティストのコンサートが地元で開催されることを知りました。

高校生の私は、お小遣いをかき集めて、勇気を出してチケットを申し込みました。

4月26日。

その日が、そのコンサートの日でした。

会場の空気、胸の高鳴り、ステージに現れた彼の姿。

まるで夢の中にいるような時間で、ただただ音に包まれていました。

ライブが始まった瞬間、涙が出そうになったのを覚えています。

「本物だ」って、そんなシンプルな感動が押し寄せたんです。

その夜、家に帰ってからも、音が耳に残っていて眠れませんでした。

翌朝の通学路が、まるで別世界のように輝いて見えました。

あの日は、たぶん私の中で「感情の記憶」という引き出しが、ひとつ増えた日だったんだと思います。

あれからの私と今

それからずいぶん時が経ちました。

彼が今どうしているのか、正直わかりません。

テレビでも雑誌でも見かけなくなって、もしかしたら音楽の世界から離れてしまったのかもしれません。

一方で、私はというと、 呑気な旦那と、社会人になった長男と、大学生の娘と暮らしています。

毎日があわただしくて、ふと思い出すことも少なくなったけれど、 それでも4月26日が近づくと、心のどこかが静かにざわめくんです。

「あの日だったな」と、まるで身体が覚えているみたいに。

タイムスリップする感情

思い出というのは不思議です。

何年経っても、そのときの空気や音や感情が、一瞬で蘇ってくることがあります。

私はそのときの自分に戻ります。

おめかしのスカート、ドキドキしていた手のひら、耳をふさぐような爆音、 そして、自分の中の「好き」という気持ちが、初めて爆発した夜。

今はもう、大人になりすぎて、 あんなふうに真っ直ぐに“好き”に向かって走ることが難しくなったけれど、 あの夜の感情は、ずっと私の中に息づいています。

大人になるって、そういう“原点の気持ち”を忘れていくことかもしれない。

でも、こうして時々思い出してみると、 その気持ちは、ちゃんと今の自分を、あたためてくれているようにも感じるんです。

そして、今年も春がめぐってくる

4月26日になると、私は少しだけやわらかくなります。

それは季節のせいだけじゃなく、 心の奥にそっとしまってある宝物が、そっと光を放ちはじめるから。

あの頃の私に、ありがとう。

そして、あのアーティストにも、ありがとう。

その名前を口にすることはなくなったけれど、 たとえ姿を見かけなくなったとしても、 あの夜の音は、ずっと私の中に残っています。

この話を誰かに話したくなる季節が、またやってきました。

どこかで、誰かの心にも小さな記憶の音が響きますように。