人と関わるのがしんどいわけじゃない。でも、誰とも会わない日の方が、呼吸が深い。
人と距離をとったことで、言葉や創造力が戻ってきた——そんな私の小さな気づきの記録です。
疲れていたのは、人付き合いのあとだった
ふとした瞬間に、「なんだか疲れてるな」と感じるときがあります。
特別に何か大きなことがあったわけじゃない。
でも、誰かと話したあと、誰かと予定を合わせたあと、どこかで心のどっとした重みを感じている自分がいます。
私は長い間、「人と関わることは大切なこと」「ひとりでいるのはさみしいこと」そう思い込んで生きてきました。
実際、そうでなければ仕事にならなかったし、私自身もそれなりに、笑顔でうまくやっている“つもり”でした。
けれど、あるときふと気づいたんです。
「もしかして私、誰とも会わず、誰とも話さない日の方が、呼吸が深い」

「ひとり」のほうが、呼吸が深くなる
それは、「誰とも関わらないときのほうが、書きたいことが浮かぶ」
「誰とも連絡を取らないときのほうが、言葉に心がこもる」そんな小さな事実と、いくつも繋がっていきました。
思えば、小さい頃から空を眺めるのが好きでした。
人の多い場所に行くと、どっと疲れて、家に帰ると布団に潜っていた。
「みんなでわいわい」が苦手で、「みんなと一緒に」が怖かった。
でも、それを“自分の個性”だとは思っていなかったんです。
外に合わせるより、自分に戻る
むしろ、「もっと社交的にならなきゃ」「明るく元気な方が好かれる」
そう思って、自分を“外に向かって”頑張らせてきました。
でも本当は——
私は、「静かな空間」「ひとりの時間」「深く考える時間」が何より好きで、何より安心できる場所だったんです。
距離をとることは、誰かを遠ざけることではありません。
自分を近づけることだったんです。
静けさの中で生まれるもの
距離をとって、静けさの中に身を置いたとき、私は初めて、自分の内側から言葉があふれてくるのを感じました。
それは、誰かに見せるためのものではなく、誰かに褒めてもらうためでもない、ただ「書きたい」と思える衝動でした。
アイディアが浮かぶのも、深く集中できるのも、周りの空気に自分を合わせようとしない時間に限ってのこと。
それはまるで、川の流れが静まって、水底が見えてくる瞬間のようでした。
孤独じゃない、「自分に戻る時間」
「誰かの目」がないことで、私はようやく、自分の「感覚の目」で見られるようになったんです。
最近では、あえてスマホを離し、連絡を絶ち、散歩に出るようにしています。
風の音、木々のざわめき、鳥の声、雲のかたち……
それらを感じながら歩くと、自然と心の中にスペースが生まれ、そこに、ぽつりぽつりと、言葉や音楽や映像の断片が浮かんできます。
人と距離をとることは、孤独ではありませんでした。
それは、「自分に戻る時間」だったんです。

自分の声を聞く時間が、すべてのはじまりだった
もしかしたら、こんなふうに感じている人は、私だけじゃないかもしれない。
人との関わりが苦しいわけじゃないけど、関わりすぎると、どこか“自分が遠くなる”ような感覚。
もし今、似たような感覚を抱いている人がいたら、自分を責めるのではなく、ひとつだけ、試してみてほしいことがあります。
それは、「ひとりの時間を、意識的に確保する」こと。
ほんの10分でもいい。
スマホを閉じて、誰にも話しかけられず、目も耳も心もオフになる時間。
そのなかで、ゆっくり呼吸して、「いま、何を感じてる?」と、自分に聞いてあげてください。
きっと、答えは誰よりも優しく、心の奥から返ってくるはずです。
そしてそのとき、あなたの中に眠っていた創造性が、そっと目を覚ますかもしれません。
私がそうだったように。